一昨日の投稿の正体ですが、ニュースで世界規模で報道されてもいる、京都アニメーションの火災のことでした。
最初はあまり情報開示されていませんでしたが今では容疑者の名前までニュースで開示されるようになりました。
ですがこの名前のこともそうですが、どうもツイッターの様子をサーチすると、報道前に憶測で名前を挙げているツイートがありました。
それだけでなく、命が奪われたことへの悲しみから、アニメ作品・監督への思い、自分にできることや募金して力になりたいというようなツイートもありました。
ですが、容疑者についての憶測、今後のアニメより命のことをいたわるべきだとか、犯人への怨念や許さない気持ち、
報道関係者の対応がよくないとか建物の防火・セキュリティ対策がどうとか、Youtuberの投稿に対する非難まで飛び交っていました。
僕としてはどの意見が正しいというわけではなく、人によってどのような見方も一理あることだと思って眺めていました。
さて今回の事件、事件そのものでも大きな悲しみに見まわれているのですが、見ている人はツイッターによって苦しんでいるのもあるとツイッターの様子を見ていて思いました。
ツイッターというのは自分で入ってくる情報量を調節できるようで難しいのではないかと思います。
それまでは大丈夫でもその次のものを見たら重いことや過激的なことが書かれていることもあるわけです。
見た瞬間にその情報は入ってきてしまうので、「もう見ない」と決心した時にはすでに心に大きなダメージを受けているわけです。
アニメ好きはツイッターから情報を得ている人が多いだろうから一層被害者が多いのでしょう。
この様子を眺めていた時にふと思ったのがアニメ「PSYCHO-PASS」。
あのアニメの中でこのようなことが起こったら、これまたストーリーが作れてしまうほどのパニックを作り出せてしまうと思ったのでした。犯罪係数爆上げでしょうね。