もう2週間前のことになってしまいましたが、寺子屋塾主催でインタビューゲーム会を開き、ファシリテーターを担いました。
ファシリテーターだったのでインタビューをしている様子を外から見ていました。
その後一通り終わった後の振り返りで井上先生が話していたことで、コミュニケーションがどこで発生しているのかが印象的でした。
それは、聞き手と話し手の間から生まれるということです。聞き手からでも話し手でもないのです。あくまでも感覚的なものではあるのですが共感できました。
まるでそれは2人で砂場でお城を作るようなものではないでしょうか。お互いに何かしているうちに自然に形になっていくのです。(もちろん目標はありますが)
逆に引き出そうとかいい話をしようとか、自分か相手から作り出そうとし続けていてはいずれつながらなくなるのでしょう。
2つ目は、ファシリテーターをしていると参加者の時より話がかなり聞けていなくなっているということです。
他己紹介文を作り合った後にその文章を読んで発表してもらいます。そして今回は寺子屋塾主催ということで他己紹介文を集めました。
後日その文章を読んでみたのでした。すると構文や言い回しをどのようにしているかまで意識できていなかったことに気づきました。
なので、自分で改めて紹介文を見た時に新鮮味さえ感じたほどでした。
それほどファシリテーターとして進行を考えながら聞いていたのだと思ったのでした。
今回、寺子屋塾主催のインタビューゲームのファシリテーターをやりましたが、自己評価としてはあまりよくないです。準備・イメージ不足なところさえ多かったし。
しかしそれと共に思ったことが、この頃の学校での授業もどこかしっくりこないものとなっていたのですが、どちらも同じようなしっくりこなさを感じたのです。
授業の内容やインタビューゲームを自分が前から引っ張るべきなのに、逆に授業の内容やインタビューゲームが前にあって自分がそれをなぞっていて後手に回っているような感覚です。
どちらも担うという点では共通してはいますが、コンテンツが別でもこれほど共通するものがあるとは思いませんでした。