毎日取り組んでいるらくだプリントですが、やり始めてから1年9か月ほどになりました。
最初は小学校の引き算の筆算から始めたのですが、実は先週で高校の教材までやりきりました。
思った以上にあっという間ではあったのですが、高校の教材の2/3が終わった時にこれはいずれやりきるなとは思っていたので、自分の中では順当でした。
というよりも10年近く前に公文式というもっと長い年月をかけてやりきったものがあったのであんまり感動とかはなかったり・・・。
では終わったからこれでらくだプリントは終了か。いいえ、まだやっています。どこをやっているかというと小学校の引き算の筆算に戻りました。
寺子屋塾では計算ができるようになることが目的ではなく、それを通して自分との向き合い方を見つめるものです。そのため、どこをやるということも決まっていません。
ならばどうして小学校の内容に戻ったのか。今回、やり方にあるルールを設定しました。それは「1週間同じプリントをやる」ということです。今までの取り組み方を振り返ると、「1回目はこうだった、だから次はこうしよう」と思ってやっていることが多かったです。
では、1週間やり続けたらどうなるのだろうか?最初の何日かは同じように思うかもしれません。しかし、やがてそのような見方は弱まり、別のことに気づくことがあるのではないか。
そんな気がしているのです。
つまりは明確な目的はないのです。無目的なのです。しかし、だからといってやる意味がないとは思いません。
目的はないと言いましたが、無目的にやった先にあるものを見つける、これが目的でしょう。
さっそく1週間やってみたのでやってみての振り返りをしようと思いましたが、それはまた明日に。