昨日の夜にインタビューゲームをしました。これで通算22人目です。
今回の相手の方はインタビューゲームを何度もやったことがあり慣れている人でした。
ここしばらく初めてや数回の人が続いていたので、僕としては待ちに待った機会でした。
今回のインタビューゲームを通して思ったことを3つ書こうと思います。
1つはルール説明の仕方が与える影響の話です。
1対1のプライベート型でインタビューゲームでしたが、“常連さん”とプライベート型でやるのは初めてでした。
そのためルール自体の説明はさらっとしました。しかしその分、そのルールの捉え方をその時に話し合いました。
その上で行なったのですが、終了後の振り返りで最初に話し合ったことに関する振り返りが盛り上がったのでした。
今のところは、相手の方のインタビューゲームをやったことある回数によって説明の仕方を変えています。これからも説明の仕方を考えていこうと思いました。
次は“相手になりきって”ということについてです。
これは相手の他己紹介文を書く時のことです。相手自身が自己紹介することをイメージして文章をつくりましょうという話です。
他己紹介文のルールに、最初は一人称から始める(私は○○です。)というものがあります。しかし、一人称は「私」でも「僕」でも「オレ」でもなんでもOKです。
そして、相手からもらった文章には「僕」が使われていました。ついでに今まで書いてもらったものを見返してみたら「私」の方が「僕」より少し多かったです。
僕としては、←このように自分の一人称は基本的に「僕」です。
ただ、相手の方は何度もやっていながらも「私」以外を使ったのが初めてで、自然に「僕」と書いていたようでした。
一方の僕はというと、いつも“相手になりきって”を心がけています。ただ、今回は文章を書いていながら「自分っぽいな」と何度も思うことがありました。
それは接続語や単語から思ったのです。
果たして“相手になりきって”いるかはどのような部分から感じるのでしょうか?僕にも分からないことでした。
そして最後は“言葉のズレ”です。
ここ何回か僕が相手から聞き出そうとしていることは、その人が持っている感覚についてです。今回は「自然にやる」ことについて聞いてみた時がありました。
しかし、感覚ほど言葉にすると本当に感じていることとズレが生じることはないと思えています。ズレがある上で相手の話を聴いているのです。
そして相手の話にズレが生じているかどうかは出てくる言葉からはそれほど判断していないのではないかと自分で思います。
自分の場合は、言葉が流ちょうに出ているかでの判断の方が強いのではないでしょうか。
そして、相手から聞き出したことにはズレがあるという前提で相手の他己紹介文をつくっています。
一方、相手からもらった紹介文にも実際の自分とズレがあるという前提で受け取っています。実際にズレが起きているなという部分がありました。
しかし、だからといって僕は訂正を求めることはしていません。ズレがあることが当たり前で、むしろ相手はそうやって捉えたと知れるからです。
それに“共同作品”ですし。
今回は2時間半しか時間が取れなくて振り返りを途中で終わってしまいました。やはりインタビューゲームは3時間半は確保しておきたいですね。
ファシリテーターとしてだいぶ時間感覚はつかめてきました。
ところでここ4回ぐらい、他己紹介文のタイトルが最初に思い浮かぶようになりました。ブログを書き続けている副産物なのでしょうか。