気分やさんの気ままなブログ

【人の学びから考えてみた】

 通っている寺子屋塾を運営している井上先生は淑徳大学の非常勤講師でもあり後期にファシリテーター養成講座という授業をしていました。その授業の内容には僕が何度かやったインタビューゲームも使われています。その授業を受けた学生さんのレポートをいくつか見せてもらいました。その中から心に留まったことを書こうと思います。

 

「自信ある」

 あるレポートにこのような言葉が使われていました。しかしこの言葉ほど読み手が解釈することが難しいものはないのではないかと思いました。というのは、インタビューゲームでの経験で対話の様子を第3者として観察していてもその両者の間にある信頼関係や空気感といったものまでは両者と同じようには感じ取れないのだと気づきました。そしてこのレポートに書きあげられている「自信」というのも同じようなものであって、それは本人がレポートを書いていた中で自分自身と対話して生まれたものなのです。だからきっとこのレポートを読んだ僕の印象とこの人の価値観から出てきたこの言葉の具合はズレが起きている、そう呼んだ瞬間に感じたのでした。

 

 インタビューゲームは共同作品

 今更ですが、久しぶりに改めてインタビューゲームとはどういったものかを簡単に紹介すると、聞き手と話し手に分かれて聞き手は話し手に質問してインタビューすることを交互にやり、その後にインタビューしたことを基に相手についての他己紹介文を書きます。(詳しくはコチラ

 ところでですが、羽生善治さんが将棋について、対局の1つ1つは相手の人との共同作品だと言っています。授業の中のインタビューゲームのことを読んでいるうちにインタビューゲームも相手の人との共同作品だなと思いました。確かに最後に書きまとめているのは1人でやっています。ですがその元となっている情報は、聞き手が訊き、それを受けて話し手が話し、それを聴いてまた聞き手が訊く、これが続いて結果として生まれた一連の情報なわけです。それを使ってまとめたのだから共同作品と言えるのではないかと思います。

 

 読む姿勢

 ・・・とは背筋をピンと伸ばしてとかそういう話ではありません(笑) どのような気持ちをもって読むかということについてです。いくつものレポートを読みましたが僕にはどれも「生きたレポート」だと思えました。つまりはステキなレポートです。しかしこのように見れたのは、本でもそうでしょうが、ある程度の相手のことが頭に思い浮かべられ相手に信頼をおけている上で読めたからでしょう。今回のレポートであれば授業者が井上先生で井上先生だからきっとこういうスタンスでこういう大切さを説いてきていてその人からの影響を受けて学び取ったことをまとめたレポートだという心理が働いているのです。このような間柄だからこそこのようにおもしろいと思えたのでしょう。