気分やさんの気ままなブログ

【ユースワーカー養成講習会(前半)】

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 昨日名古屋市青少年宿泊センターで「ユースワーカー養成講習会」というものに参加してきました。本当は2日間に講習会でその2日間とも予定が入ってしまっていたのですが、1日のみの参加でもいいことと数多く開催されているものではないという貴重さから片方の予定を抜いて初日だけ参加しました。とはいえ「ユース」とは若者のことであり、自分は中学生を相手にはしているものの若者という枠は自分にとっては広すぎる話で正直自分なんかが「ユースワーカー」になれるのかという不安ばかりがありました。

 主催はユースクエア(名古屋市青少年交流プラザ)なのですが、いざ参加してみるとユースクエアに何かしら関わっている人が多くて最初はアウェイ感をもってしまったのですが、実際は初対面同士が多く企画が進んでいくうちに自然と交流できました。

 最初のセッションはユースワークとユースワーカーを知るというものでした。先ほどの通り最初は不安だったのですが話を聞いてユースワークというのは別に特別な働きではなく学校においても実践できるもので、心がけて子どもたちにはたらきかければそれでもユースワークになりえるものだと感じ取れました。ユースワークの生い立ちから公的に掲げられている教育施策、イギリスでのものがベースとなっているユースワークの方針や価値を学びました。ユースワークが大事にしているものとして、若者を尊敬すること若者が自己決定・自己選択できるように伸ばすこと挑戦するような学びを許容しそのような機会を提供すること、ということが特に響きました。

 次のセッションは若者と関わるうえで自分のことを理解しておくことの大切さを知り自分のことを理解する時間でした。自己理解の大切さはこちらに書いたように完全にすべての他者を理解するということは完全に自己を理解する必要があるという自己理解と他者理解が1セットとなっている、そしてそれは神様になるようなことだと思っています。受け入れられる自分・受け入れたい自分・受け入れられない自分、すべての自分を理解するということです。そして、人を知ることに関するワークをやりました。ワークの中に「決められた時間の間、見たままの相手の特徴を言い続ける」ものがあったのですがお互いに途中から思い浮かばずに”間”ができてしまいました。この“間”についてお互いに強く印象に残り振り返りが盛んになりました。1つは沈黙の“間”(特に会議とかで)は気まずいというか心苦しい感じがするけど、それを感じている時には自分からのことを考えていがちであり、しかしながら実際は他の人も同じように感じている、だから他の人のことにも意識を向けてみればいっそ心苦しい感じがすると打ち明けても意外と大丈夫じゃないかということです。それから、そもそも本当に“間”は心苦しいものなのか?、勝手に自分(たち)でそうやって思い込んでいるだけなのではないかと思うようになりました。これは割と具体的な場面ですがこういったことから始まる自己理解・他者理解もあるのではないでしょうか。

 

でセッション3は・・・、と語りたいのですがここまでが長くなった上に次のもまたすごく語りたいので今日のところはここらへんで。予告:明日のろけます(笑)、のろけさせてください。