気分やさんの気ままなブログ

【それは本当に「ノイズ」なのか?】

 昨日は情報とかがありすぎてもという話でしたがある意味今回は逆の話。

 

 本にしろ文書にしろWebページにしろ、外回りであったり行間であったりと「空白」があるものです。この空白があることで、見心地よかったり読みやすかったりメモが十分に取れたりすることができるという、効果を持たせた、デザインされた空白があります。僕はそのようなものを「余白」といつも呼んでいます。しかしながら、時に無価値でデザインされているわけではない空白、「デッドスペース」と呼ばれる空白もあります。大学時代の委員会で冊子づくりをしていた時にデッドスペースというものを知りました。

 つまり、文章やオブジェクトといった書かれているものも情報(メディア)なのですが、空白、さしずめ余白も相手に影響を及ぼすもの、メディアなのです。

f:id:itasan-kibunyasan:20171025224807j:plain

 似たように感じた話で、今読み進めている『数学する身体』で、人が「ノイズ」、不要なものと認識し排除するようなものを機械である人工知能は必要なものだと捉え、それを駆使することで人間が考えたものより優れたものを生み出したという話が紹介されていた。それから自分が聴いたことあるもので、「人力ボーカロイド」というゲームなどから声を切り取って音程をつけつつ貼り合わせていくことで楽曲を作るもので、五十音だけでなく息継ぎの音も付け合わせることで、息継ぎ音がない場合よりもはるかにリアルに感じるのです。これもやはり普段は認識していないながらも重要な要素となっているのです。

 

 昨日は多すぎると困るという話でしたが、なくしすぎもよくなく、部分的、そして全体的に調和がとれたものがいいのだと感じています。

 

 ・・・といいながらこのブログをデザインすることはずっとほかりっぱなしになっているのですが←