気分やさんの気ままなブログ

【僕が方程式を好きになれたわけ】

 勤務先の学校の数学の授業で方程式を今やっているのですが、ふと自分がどうして方程式が好きになったんだろうと思いました。2日前のブログにもさらっとつづりましたが数学を好きになったのは方程式からでした。

 

 好きになった理由を考えたところ、方程式を解くということはそれ以前の計算をするということよりはるかに自由にやることができるということにあると思えました。例えば異なる分母の分数の足し算であれば通分して分母をそろえなければ計算することが基本的にはできません。ですが方程式であれば、両辺に数をかけることで分母を払うことができます。しかしそれは必ずしなければならないことではなく別に自分がよかったら分数のまま解いてもいいです。もう1つ具体的な例を。次のような問題、みなさんはどうしますか?

0.5x - 7 = 3x + 5.5

セオリー通りなら小数を払うために両辺を10倍してからはじめるでしょう。ですがこれだって分数でのことと同様に小数のまま解いてもいいですよね。じゃあ僕はそうするか?第1感はどちらでもありませんでした。両辺を2倍しました。「.5」なんで2倍すれば小数なくなりますよね。問題に現れていない数を勝手に登場させられる、それが方程式のよさです。さらには、基本は文字が含まれているものを左辺に、ないものを右にです。が、僕は文字の方にマイナスがつくのが嫌(早いうちに符号を考えることを片付けたい)だからこういう時は文字のものを右にもってきます。こんなにも方程式って自由にやれるんですよね~。

 

 (ここからは当たり前な人には当たり前な話です)でもなぜ方程式はこんなに自由にできるのか?計算にはない方程式のルールがあるはずだ。それが大したルール、実はないんですよね。あげるとすれば「左辺と右辺が等しいこと」これだけでしょう。言い方を変えれば左辺と右辺が等しければ別にいいってことです。でも計算にはなかったもの、「移項」と「両辺に数をかける(割る)」はどうなのか?これはやっても上のルールを守っていることです。等式の性質と言っています。具体的には「等式では両辺に同じ数を足したり引いたりかけたり割ったりしても等しいままである」というものです。「移項」はこの「足したり引いたり」から来ているものなのでルールでは実はありません。

 このルールと等式の性質、今日考えておもしろいなと思ったのが場づくりすることを考える時にも大切な安心の保障に似ているなっていうことです。ルールというと普通は制限するものなことが多いですが、これらは制限どころか自由を保障しているんですよね。言われてみたら僕自身がルールが複雑だったり制限されたりが好きじゃないです。場づくりを考えるようになったのは大学に入ってからのことなので、元から性格がそんなんだから方程式が好きになったのか、方程式が好きになったからそんな性格になったのかは自分でも分かりませんが関係はしているのかもしれません。