気分やさんの気ままなブログ

【「めんどくさい」をポジティブに】

 とある投稿で「めんどくさい→しんどい→おもしろい」という学びの段階っていうのかな?、そういうものを見たので今日はそれにあやかってみることに。

 

 みなさんは「めんどくさい」ということをどのように捉えているでしょうか?それから「めんどくさい」と人から言われたらどんな思いになりますか?ムッと思う人いますよね。特に組織な場でこういう言葉が出ると荒れることもあるかもしれません(委員会時代を思い出しながら)。

 じゃあ「めんどくさい」を発する時のその人ってどういう状態なのでしょう?僕はこういう風に普段捉えています。

  • 「めんどくさい」に至るまではそれをやってきた、もしくは頭の中で思い描いてみた。
  • その物事への動きが止まろうとしている。
  • だけど実際にはまだがんばるエネルギーが残っている。
  • 大変だけど、本気を出せばできると思い込んでいる。不可能ではないものである。

最後の「不可能ではない」って考えているのは、もしその人の中で本当に不可能だという結論に至れば、これ以外の言葉が出てくるだろうからです。

 じゃあここから「めんどくさい」をポジティブに捉えてみましょう。まず、言葉を発した時点ではやる気の灯火は消えてないのです。ただ風前の灯火にはなっています。そしてエネルギーもまだ残っています。っていうことは風を送ってまだ残っているエネルギーに火を燃え移させればいいんですよね(風の送り方は時と場合によれどですが)。

 なので数学を教えているときにこういう声を聞いた時は「数学を本当に好きになってくれる可能性がちゃんとある」といつも思っています。できないわけではないのでそんな時の声掛けはだいたい煽っています。「やれ」は論外ながら「やりなさい」は突風であり火を消すことになってしまいます。だいたい「やってみー」って声掛けが多いような気がします。

 そしてその次の壁である「しんどい」、または「疲れた」というのは、めんどくさいという思いより疲れの方が勝った時だと思います。この時点の「めんどくさい」との大きな違いは、自分が疲れているということ、しかしながらそれなりにできていることを自覚していることだと思います。こういう時のアプローチは僕も難しいなって思っていますが、場合によっては無理強いせず休ませることも大切かなと思っています。でもしんどいっていうことは、まだ抵抗があるということなので伸びしろがあるということでもあるはずです。

 ちなみに僕の経験は公文式で、「めんどくさい」は割り算の筆算~分数、「しんどい」は負の数込みの分数の加減乗除、「おもしろい」は方程式ぐらいからかな~と。

 それから、まだなんとなく思いうかんだぐらいなことですが、「めんどくさい→しんどい→おもしろい」の流れの前に「イヤ→成功体験→」がくっつくのかなと思いました。それからこれはおもしろさという意欲からの観点がメインですが、「できる」かどうかとなると簡単にはこの中には組み込めないんじゃないかなとも思いました。(できなくてもおもしろいと思うことがあるし、「しんどい」から「できる」の延長線上に「おもしろい」があるとは限らない気がするので)

 

 こういう風に捉えてみるとちょっとこちら側も心にゆとりが生まれて理性的に指導もできるようになるのではないでしょうか?それから途中から教育的視点になりましたが、組織運営でも生かせるんじゃないかな~。